~この記事は2012年、現地インターンをされていた、秋塲 優歩さんによって当時書かれたものです。~
2月25日、ソポオス夫婦の新築祝いがありました。
(ソポオスはIMCCDが現地で無料開講している日本語教室の第1期生です)。
ソポオスの新居はタサエンのIMCCD宿舎から車で5分ほどのところ。
こちらの新築祝いは、家を建てた人が、お坊さんにお経をあげてもらった後、ご近所さんをお招きして食事をふるまうというもの。
お祝いに伺う側は、いくらかのお金を包んで持っていきます。
お坊さんを呼んで行う儀式は、とにかく神聖なものなのです。
なぜならお坊さんはブッダの化身と考えられているから。
私たちが頂く食事は、まずお坊さんに食べていただきます。
その後に、ブッダのおこぼれに与かるという形で私たちが食事をします。
その日、私たちがソポオスの新居に到着した時には、すでに3人のお坊さんが食事をされていました。
野菜の炒めものやスープやうどんのようなもの、たくさんのフルーツに蒸しパンのようなデザートもありました。
お坊さん、食べる食べる。
黙々と、時折見慣れない日本人の様子をうかがいながら、食べ続ける。
食事が終わると、お坊さんにお土産を渡すソポオスのお父ちゃん。
お土産はペットボトルのお水とお饅頭のようなものを2つ(に見えました)。
意外と俗っぽいもの。
そして関係者が集まってお祈りの儀式が始まります。
ゴザの上にカンボジア流の正座をします。(日本でいう「お姉さん座り」)。
お祈りが始まるまでのわずかな間に、口に小指を突っ込んで歯に挟まった食べカスを処理するお坊さんの顔は、忘れられません。
そして始まる読経。
うんたらかんたら…と三人がアンサンブルのように唱えます。
しばらくすると前に座っていたおばちゃんが「クダウ(暑い)」と言って
Tシャツをまくり、腹を出し始めました。下着が見えるほどに。
確かに、この日は40℃近い気温で、めちゃくちゃ暑かったのですけれど。
・・・・これは神聖な儀式ではないのか?
素朴かつ根本的な疑問が浮かんできました。
それを見ていた隣のおばちゃんも暑いわよねーなんて言って二人でぺらぺらしゃべり始めるし、けらけら笑っているし。
読経も中盤。真ん中のお坊さんが取り出したのは松の(ような)枝。
その葉っぱを、お花を浮かべた水の入ったお椀に浸しては、何度となく私たちにひっかけるのです。
初めは聖水か何かなんだろうとぼんやり見ていたのですが、水をひっかける動作があまりにも続くので、
一番前に座っていたおばちゃんがびっしゃびしゃになっていました。
そろそろ読経も終盤かという頃、ふと現れたおばちゃんが
「終わったかい?」とみんなに呼びに来ました。
参加者の食事の準備ができたと伝えに来たのでしょう。
でも、まだお坊さんは経をあげているのです。
話しかけちゃあだめでしょうに。
私の目の前のおっちゃんは扇風機を独占しようとしきりにいじっているし、おばちゃんたちは時折フツーにしゃべり始めるし、ごはんができたよと、呼びに来るおばちゃんの声はでかいし、最前列のおばちゃんはびっしゃびしゃだし…。
とはいえお坊さんはそんなことを気にする風でもなく、儀式は無事に終了しました。
近所のおばちゃんやおっちゃんたちと食事をつつきながら、私はこのあまりに自由な儀式について浮かんだ疑問について考えていました。
結論としては、カンボジア人のブッダへの信仰心は心の奥深くに根ざしているために、
表に現れる行為行動はさして問題ではないのではないかということです。
一斉に右向け右で動く日本の儀式よりも、私はずっと、カンボジア流のほうがすきです。
こちらに来ておよそ2週間。
まだまだ新鮮な驚きと笑いの毎日です。
タサエン村にて
2012年2月26日
現地インターン 秋場
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